編集長コラム

「教科書」が子供たちの手に届くまで

201510P138佐藤 明彦(時事通信出版局『教員養成セミナー』編集長)

教科書は全部で何種類発行されている?

普段、子供たちが授業で使っている教科書。これが何種類ぐらい出されているか、皆さんはご存知でしょうか。答えは、小中合計で114種類。内訳は、小学校が48種類、中学校が66種類となっています(いずれも2015年度)。

ここで言う「種類」の数は、学年単位でカウントされたものではありません。例えば、東京書籍は、『新しい国語(こくご)』という教科書を小学校は学年ごとに「上」と「下」の2点ずつ、計12点発行していますが、これらは一くくりにして「1種類」とカウントされます。ちなみに、学年ごとの発行点数もすべてカウントすると、その数は384点(小学校が253点、中学校が131点)にも上ります。

では、実際に印刷されている部数はというと、小中合計で約9,617万冊にも及びます。小中学生の数は、全国で約1000万人ですから、単純計算すると、1人平均で10冊近く受け取っていることになります。思い返せば小中学生時代、学年が上がるたびに新しい教科書を大量に受け取り、「これからこんなに勉強するのかぁ」とワクワク(ウンザリ?)したものです。

参考までに、小中の教科書1点あたりの平均印刷部数は約25万冊。出版業界では、10万部売れれば「ベストセラー」と呼ばれる中で、教科書を取り巻く市場がいかに巨大であるかが分かります。

 

編集から検定、採択、使用に至る流れ

さて、これらの教科書の数々が、どのようなプロセスを経て、子供たちの手に届くのでしょうか。

教科書を作っているのは、教科書会社です。先述した東京書籍の他に、教育出版、光村図書、三省堂などが、大手としてはよく知られています。これら教科書会社が、大学の教授・准教授や小中高校の教員に協力してもらいながら、執筆・編集作業を進めます。

教科書を作る際に、基準として活用されるのが、学習指導要領です。しかし、学習指導要領自体は、教科書の内容をさほど細かく規定しているわけではありません。例えば、新美南吉の『ごんぎつね』は、小学校のどの国語の教科書にも載っていますが、学習指導要領が取り扱うように示しているわけではありません。教科の指導に適しているからという理由で、各社が採用しているだけの話です。

さて、教科書会社によって編集された教科書(この段階では「申請図書」と呼ばれる)は、次なるステップとして、文部科学省の検定を受けます。検定を行うのは、文部科学省の「教科調査官」と呼ばれる人たち。教科書として内容が適切かどうか、細かくチェックします。

もちろん、内容的に不十分だったからといって、即「不合格」の烙印を押されて終わり…などという、薄情な話にはなりません。「ここを直してください」という形で、「検定意見」が示され、教科書会社がそれに応じる形で修正し、再度チェックを受けます。こうしたやり取りを経て、「合格」のお墨付きを得て、晴れて「申請図書」から「教科書」(正式名称は「教科用図書」)となるのです。

続いては、「採択」の段階です。例えば、小学校の国語は、5社が教科書を作っていますが、学校関係者がこの中からどの社の教科書を使うかを決定します。決定は、小中学校が市町村単位、高校が学校単位で行われるのが一般的で、概ね夏頃までに行われます。その後、各教科書会社が採択された数に応じて教科書を刷り、翌年の4月には子供たちの手元に届けられるのです。

ちなみに、小中学校の教科書はすべて無償で、子供たちはタダで受け取れます。この費用は、国が教科書会社に支払う形で、税金で賄われています。ちなみに、2015年度政府予算には、義務教育教科書購入費等として、約412億円が計上されています。

「412億」と聞くと、とてつもない金額に思われますが、教科書1冊あたりの単価で見れば、主要教科で600~800円前後と安いものです。それゆえ、より多くの子供に使ってもらわないと、教科書会社としては採算が取れなくなってしまいます。

201510P139

 

採択をめぐる関係者の思い

こうした状況もあって、教科書の「採択」を巡っては、各教科書会社が激しい凌ぎ合いをしています。採択数が少なければ、編集・執筆にかけた費用を回収できず、赤字になってしまうわけですから、教科書会社にとっては死活問題です。

一方で、政令指定都市など、人口の多い自治体に採択してもらうことができれば、教科書会社は大きな売上・収益を得られます。そのため、各教科書会社はあの手この手で、自社の教科書をPRします。今年6月、文部科学省が各教科書会社に対し、行き過ぎた宣伝を自粛するよう要請をしましたが、背景には一つでも多くの自治体に採択されたいという、関係者の切実な思いがあるのです。

教科書採択をめぐるこうした攻防は、最近に限った話ではありません。今から100年以上前の1902(明治35)年、紛失物として届けられた教科書会社社長の手帳がきっかけとなり、教科書採択をめぐる贈収賄が発覚。実に200人以上もの関係者が検挙される「教科書疑獄事件」が発生しました。

当時、日本では府県の「審査委員」に採択の権限が与えられていたことから、裏金を渡して便宜を図ってもらおうとする教科書会社が多数あったのです。

その頃、日本では日露戦争(1904~1905)に向けて軍国主義化が加速していたこともあり、「教科書疑獄事件」は検定・採択制の崩壊と、国定教科書化への道を後押しする形となりました。事件の1年後には、小学校の教科書が国定化され、それは第2次世界大戦が終わる1945(昭和20)年まで続きました。

終戦後は、アメリカの主導で教育改革が図られ、その一環として教科書も検定制度へと切り替えられました。しかし、教科書をめぐる歴史は、その後も波瀾万丈。検定自体が憲法の禁止する「検閲」に当たるとして裁判で争われたり、検定で「侵略」を「進出」と変えさせたとする報道(誤報)が近隣諸国の怒りを買ったりと、多くの事件や出来事が世間を賑わせてきました。

こうした歴史を振り返っても、教科書という存在が学校教育において、いかに大きな役割を担っているかが分かります。

教セミちゃんねる 教員養成セミナーのご紹介 教セミLine@ 教員採用試験対策サイトへ

最新号のご紹介