教職感動エピソード

Vol.4 メールでつないだ中学校生活

秋山 純子(東京都三鷹中央学園三鷹市立第四中学校長)

201509P123
イラスト・佐藤百合子

 

 「今日、高校の卒業式を迎えました。4月からは大学生です。」

卒業生の恵さん(仮名)から1通のメールが送られてきました。恵さんと私が初めて顔を合わせたのは、彼女が中学3年の冬でした。

 

ちょうどその頃、3年の生徒たちとは面接練習をしていました。卒業前のこの面接は、高校の入学試験の面接練習を兼ねているのですが、中学3年間の成長を振り返る時間でもあります。その面接練習に、中学校の入学式から登校ができていなかった恵さんが自分から、「面接をしていただけますか?」と申し出てきたのでした。

 

恵さんとは、メールアドレスを交換していました。この申し出もメールで送られてきました。「調査書に校長印を押す責任者として、一度はあなたに会えると嬉しい」という私の強引な言葉にしぶしぶと…だったのかもしれません。

 

私は指導主事という立場で8年間、教育行政の仕事をしていました。適応指導教室について施策を展開するプロジェクトにかかわっていたとき、パソコンを活用した教育支援のあり方について検討をしていました。この経験から、人と対面することを苦手とする恵さんとのコミュニケーションには、メールという手段がよいのかもしれないと考え、恵さんとのメール交換は始まりました。

 

彼女と直接会話をするまでは、メールが学校と彼女をつなぐ手段となっていました。恵さんはメールの中で、たくさんの素顔を見せてくれましたので、面接練習で初めて出会ったときも、不思議なことに初対面という印象がまったくありませんでした。

 

恵さんとの「メール交換」がほぼ1年間にわたって継続したのは、定期的な面談の代わりをメールで行っていたのではない、ということが大きいでしょう。彼女は、高校生活に一種の憧れをもっていました。弓道を体験したことのある彼女は、弓道部のある高校を探し、入試について調べていました。中学校にうまく通うことができない分、自分で勉強をしておこうと思っていたようです。家庭教師の先生に教えていただいたり、塾に通って個別指導を受けたりと、学習を積み重ねることが、高校生活に向かう恵さんの大きな力になっていました。「メール交換」は、「社会科がどうしても苦手」という、お母さんから伝えられた恵さんの情報をきっかけに、「新聞を一緒に読まない?」と私がメールで誘い、始まったのです。

 

Y 新聞社の教育支援事業の一つに、Y 新聞社で作成する「新聞記事のワークシート」が、毎週水曜日、希望する学校に配信されるシステムがあります。毎週水曜日、この「ワークシート通信」をメールに添付して恵さんに送信することにしました。そのメールには、私からのメッセージとして必ず学校の近況を添えました。恵さんは、受信した「ワークシート通信」を印刷し、その設問に答えていきます。やり終えた「ワークシート通信」をファックスで学校宛てに送信します。受信した私が、そのワークシートを添削したり、コメントを記入したりして、再び恵さんにメールで送信するという流れです。

 

担任の先生は定期的に恵さんのお母さんと継続して面談を行っていました。電話では、チャンスがあれば、恵さんと一言二言の会話はできるという状況でした。そこで、担任と「チーム」を組んで対応する方法をとり、メールとファックスでのやりとりは、学校で一番時間に都合がつけられる校長の私が担当することにしました。媒介が「新聞記事」であることは、かえって恵さんの気持ちを楽にさせていたようでした。

 

学校の先生から、あれこれと「現在の自分の状況」を聞き取られないという安心感もあったようだと、恵さんのお母さんからお聞きしました。こうした流れの中で、初めての彼女との面接が実行できたように思います。恵さんは、3年生になっても自分のクラスに入ることができませんでした。家庭訪問をした担任とも顔を合わせることができず、月日は過ぎていきました。しかし、学校行事の折には、クラスメートの姿に出会うために、そっと会場に足を運んでいました。気持ちだけは中学校生活を体験していたかったのかもしれません。

 

彼女との面談は、面接練習をきっかけに、卒業まで数回継続しました。ただ、面接場所は学校ではなく、彼女が選んだ雰囲気の良い喫茶店でした。「喫茶店で進路面談?」と驚くかもしれません。しかし、恵さんが、自分の進路を切り拓くために、今まで会ったことのない、しかも担任でなく校長に会う、というハードルを越えるためには、場所はどこでもよいと考えました。喫茶店のチーズケーキと紅茶も恵さんの気持ちをほぐしました。もちろん、勤務校に所属していたスクールカウンセラーの意見も聞いて実行したことではありました。

 

恵さんにとっての「学校」という存在についての思いは、最後まで聞くことができませんでしたが、少なくとも、どこかで自分をリセットしたいという思いはあったように思います。彼女は、高校入学前の春休みに一人でオーストラリアに2週間の留学をしました。

 

そして、「環境」に関する勉強がしたいという夢を抱き、高校入学後は休むことなく通い続けました。
長い教員生活の中で不登校の子供に何人か出会ってきましたが、そのうちの一人が「中学校の時、学校に行けなかった原因は、今でもよく分かりません。ただ、あの時間は、自分にとって必要な時間だったのだと思っています」と語った言葉が、忘れられません。

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