目からウロコの教育史

目からウロコの教育史 第2回・コメニウス「あらゆる人に、あらゆる事柄を教授する」

教育史に出てくる「名言」って一体何を意味しているの?
単に暗記するのではなく、マンガ&テキストでその「根っこ」を理解する「目からウロコ」のコーナーです。

著・監修 吉野剛弘(埼玉学園大学准教授)
慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学選考後期博士課程修了。日本教育学会、教育史学会所属。

ウロコが落ちる解説

ラテン語に翻訳された本

題の言葉は、チェコのコメニウスの著書『大教授学』の冒頭に記された題目の一節で、その題目は「あらゆる人に、あらゆる事柄を教授する普遍的な技法を提示する/大教授学」(/は改行の意)となっています。なお、この後にかなり長い副題が続きます。
『大教授学』は、ラテン語のものが1639年には完成していましたが、公刊は1657年です。しかし、当初この本はチェコ語で書かれ、1632年にはその原稿が完成していたと言われています。つまり、母国語で書いたものを、多くの人が接しうるラテン語に翻訳して公刊されたということです。

「あらゆる人に」とは

『大教授学』の冒頭では、すべての人々が学問を教えられる必要があると述べられています。なぜ「すべての人々」なのか。そこには「三十年戦争」の戦禍が大きく関わっています。
三十年戦争は、最終的にはヨーロッパの覇権争いに発展しますが、当初はキリスト教のカトリックとプロテスタントとの宗教戦争として始まりました。
モラヴィア(チェコ)では、1628年にプロテスタント信者に国外退去の命令が出たために、ボヘミア同胞団というプロテスタントを信仰する団体に属していたコメニウスは、ポーランドに亡命します。
そこでコメニウスは、祖国の解放の望みを教育に託すという手法を取りました。そのような理念のもとに書かれたのが、『大教授学』です。
コメニウスは、ポーランド亡命中に『語学入門』(『開かれた言語の扉』)という本も書きますが、この本は彼の考える新しい教育のために必要な教科書として書かれたものです。ちなみに、その延長線上にあるのが、有名な『世界図絵』です。

「あらゆる事柄」とは

『大教授学』には「あらゆる事柄」を教えるとも述べられます。このような考えを汎知主義と言います。コメニウスは自らの汎知主義に関する主張として、「汎知体系に関する著述の輪郭」というものを書き、汎知体系とは「神・自然および人事に関する真知の一切」と定義しています。これは1634年に公になっています。
このような考えは、当時のヨーロッパで大いに歓迎されました。三十年戦争の最中にあって、平和の確立のためには統一的な思想と知識の体系が必要であるという考え方が、プロテスタントの知識階級の間に存在していたからです。
かくしてコメニウスの名は、ヨーロッパに知れ渡ることになりました。それは同時に、祖国の解放のみを考えるのではなく、もっと広い視野で考える必要に迫られたということでもあります。そう考えれば、チェコ語で書いていた『大教授学』をラテン語に翻訳する意義も理解できるでしょう。

教育は印刷術のようなもの?

すべての人にすべてのことを教えるためには、それ相応のシステムが必要です。『大教授学』の長い副題では、すべての人がすべてのことを「僅かな労力で愉快に着実に/教わることのできる学校を創設する・的確な・熟考された方法」が説かれるのだと宣言しています。
『大教授学』では、母親学校(母の膝の元)、母国語学校、ラテン語学校、大学という、単線型の学校系統が示され、それぞれの学校での教育のあり方が述べられます。
また、『大教授学』では、教授印刷術(教刷術)と呼ばれる教育方法が提唱されます。16世紀にヨーロッパで生まれた活版印刷術を教育の世界に応用したものです。すべての人にすべての知識を刷るというイメージです。
教育を印刷術になぞらえることには、違和感があるという人も多いでしょう。しかし、コメニウスにとってはまさにそれこそが新しい教育だったのです。教育や知識というものが一部の限られた人々に占有されていた時代だからこそ、多くの人々に知識を得るための回路を開くことが歴史的使命だったのです。
ただし、実際にすべての人に教育が開かれるようになるのは、ずっと後の時代のことになります。ヨーロッパで義務教育制度が実現するのは、19世紀に入ってからのことです。

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