教職感動エピソード

Vol.27 出会ったことに意味がある

河野 通之(徳島県美馬郡つるぎ町立貞光小学校教諭)

 

私は昔から「どうして先生になったのですか?」と子供によく聞かれます。はっきりとした答えは今も分かりません。しかし,他の先生には尋ねないのにどうして私にだけ聞くのだろうと不思議に思うことはあります。

「隆治」との出会い

20 数年前,2年間浪人し4度目の挑戦で採用試験に合格した私は,元気な5年生を担任し,その中でもとりわけ元気でやんちゃな男子「隆治」と出会いました。隆治は,勉強そっちのけで1日中サッカーをしているような子供でした。学級にはトラブルも多く,技術も経験も未熟な私にとって毎日が苦労の連続でした。

そんなある日の夜遅くに,校長から突然の電話がありました。

「5年生が隣の学校の子供とけんかした。何人かいたが,中心になったのは隆治だ。明日事情を聴くように。」

相手校の先生に連絡を取り,ある程度の事実を確認した私は,隆治を呼んで事情を聴きました。

「○○小学校とけんかはした。それは認める。でも,やったのは俺一人だ。他の友達は関係ない。」

驚いた私は,他の児童や相手校の児童の証言を伝え,本当のことを話すように何度も促しました。しかし,「けんかをしたのは俺一人」という隆治の言葉は変わりません。根負けした私は,どんな理由があっても暴力はいけない,二度とけんかはしないと約束させ,教室に返しました。

けんかをしたり事実を隠したりする彼の行動は,学校の倫理観に照らせば間違っています。しかし,下品な言葉ですが,友達を売るようなことだけは絶対にしないという彼の態度に,教師という立場を超え,強く共感したことを今でも覚えています。

隆治はいわゆる良い子ではありませんでした。大人や教師の言うことはあまり聞かないし,言葉遣いも乱暴です。他の先生からも頻繁に怒られる。でも時々ふとした瞬間に,何とも言えない心根の優しさが感じられる。そんな子供だったのです。

当時,私は毎日のように子供たちとサッカーをして遊んでいました。ある日,休み時間が終わって教室に帰ろうとする隆治を呼び,運動場の片隅でこう語り掛けました。

「お前サッカー好きやな。プロになりたいんだろ。好きなことを頑張るのは良いことと思う。でも,もしその夢がかなわんかったら,学校の先生にならんか? 絶対向いとると思うよ。」

隆治はきょとんとした顔で聞いていました。

それから数年が経ち,別の学校に転任した私は,市の文化祭の会場で隆治と再会しました。大勢でごった返す人ごみの中,足に障害のある妹を背負って歩く高校生の隆治と会ったのです。妹を背負って歩くなんて自分には絶対にできない。ひょっとしたら一緒に歩くことさえためらうかもしれない。この男には人間としてかなわない。そんな思いが次々とこみ上げてきました。

そのころから,「教育って何だろう」という思い,教育の本質を問いたい気持ちが,私の中でどんどん大きくなっていきました。

後にも先にもない経験

高知県の小学校に県外交流教員として勤務し,5年生と6年生を持ち上がりで担任したときのことも心に残っています。

地域の特産物や伝統料理を子供たちと一緒になって研究し,自分たちが栽培したお米を使って新しい料理を創ろうと取り組んだ「片地の料理ショー」。親子総出で音楽室を真っ暗にしてお化け屋敷を作った「片地文化祭」。お化け屋敷の出来が良すぎたのか,泣き出す子供がたくさんいたのも今となっては懐かしい思い出です。恒例の卒業遠足では,「先生の生まれた徳島へ行こう」と子供たちから提案があり,バスで2時間もかけて徳島の公園へ行きました。

高知での勤務が終わり,学校の荷物を整理し,「さて徳島に帰ろうか」と思っていたところに保護者から電話がありました。

「先生,帰りに鏡野公園に寄ってください。」

公園では,たくさんの子供たちやお父さんお母さんが,土砂降りの中,私を見送りに来てくださっていました。長年,教員をしていますがこんな経験は後にも先にもありません。感動で涙が溢れました。昨年には,当時の子供たちと成人式で再会し,お酒を飲みながら小学校時代の思い出を語り合うという至福の時間を過ごすこともできました。

思い出がいっぱい

高知勤務の後は,初めて自分が生まれ育った地元の小学校に勤務しました。

「地域と保護者と子供で学びをつくる。」

高知での2年間で培った信念で,楽しく,創造的に仕事に取り組みました。その一つに「劇団喜らり」の活動があります。校区に伝わる心温まる実話をもとに,児童や保護者はもちろん地域の方と共に劇団をつくり,映画の舞台にもなった有名な芝居小屋で,劇「奇蹟の滑走路」を上演しました。たった1回の公演のために何カ月もかけて歌や台詞を覚え,がんばる子供たち。子供たちに負けないようにと,夜遅くまで練習する大人たち…。

言いようのない緊張感と不安で当日を迎えましたが,芝居小屋は300 人を超すお客様で大入り満員。アンコールでは大好きな「ビリーヴ」を合唱し,涙のフィナーレを迎えることができました。

「人生で最高の仕事だった。」

同僚の先生の一言が印象的でした。

その翌々年には,子供,保護者,地域の方とタッグを組み,2泊3日の歩き遍路に取り組みました。40キロ近い道のりを子供と大人が共に歩きます。道に迷ったりグループが分かれたり,速かったり遅かったり,ハプニング連続の3日間でした。きつい登り道の途中で心が折れそうになった時,サプライズでお接待※に来てくれたおじいちゃん,おばあちゃん。「あともう少し。みんな応援してるから頑張り」という優しく温かい言葉で元気をもらい,歩き続けることができました。低学年のお世話を一生懸命する我が子の姿に感動の涙を流したお母さん。寂しくて眠れない1年
生と手とつないで眠る6年生…。すばらしい思い出がいっぱいです。

 

20 数年の教師人生。きっと私のことが嫌いだった子供もいたはずです。それでも自分が教師になったのには何か意味があると思ってやってきました。良いか悪いか,好きか嫌いかではなく,子供と出会ったことそのものに意味があると思って。 今,「隆治」は隣町で小学校の先生をしています。同僚にも子供にも誰に対しても本当に優しい先生だそうです。でも,未だに私のことを先生とは呼びません。

※ 四国八十八ヶ所巡りのお遍路をしている人に,地元の人が食べ物等を差し出すこと。

 

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