教職感動エピソード

Vol.25 8人の挑戦,「脱藩ウォーク」

原田 三朗(愛知県豊川市立御津南部小学校)

 

子供たちの学びの場は、決して、教室や学校だけではありません。公園や商店街、地域のいろいろな場所、住んでいる所から遠く離れた場所も、大切な学びの場となることがあります。

今から10 年以上も前、高知県と愛媛県の県境に位置する高岡郡梼原町立四万川小学校(平成23 年に梼原小学校へ統合)の8人の6年生は、学校のすぐ横を通っている「坂本龍馬脱藩の道」を学びの場とする壮大な総合学習を展開しました。それは、高知市内にある坂本龍馬生誕の地から、龍馬が脱藩を果たし京都に向かって船に乗ったとされる愛媛県大洲市長浜までの、なんと186 ㎞を走破するというもの。私は当時、現職のまま大学院に派遣された“学生”として、その実践を参与観察する機会を得て、ほとんどの行程を子供たちと共に歩きました。これからお話するのは、この学びの場で起こった物語の、ほんのいくつかの出来事です。

物語は「脱藩ウォーク」(子供たちの挑戦はこう呼ばれました)の前から始まります。宿泊場所の選定や活動費用の捻出とともに、子供たちがしなければならない最大のことは、親の説得です。親子会議の席で、子供たちは「脱藩ウォーク」の目的や計画などについて自分たちなりに考え、熱心に説明をしました。しか
し、親たちはなかなか首を縦に振らず、計画の甘さを指摘します。「費用はどうするが?」そう問われ、子供たちは「村の草引き(草取り)を5日間するき!」と答えますが、「それじゃあ、足りんろぅ」などと突っ込まれます。「資源回収もするき!」子供たちは涙ながらに食い下がり、やっと親たちの許可を得ました。

まだ残暑厳しい8月27 日、高知市内の龍馬生誕の地を8人の子供たちは出発しました。この時は2泊3日の旅。10 月にもう一度2泊3日。そして、11 月に1泊2日。延べ8日間をかけて、子供たちは太平洋に面した高知の町から瀬戸内海を臨む長浜の海岸まで龍馬脱藩の道を辿って歩きました。そして、誰一人脱落することなく、四国の縦断を果たします。長浜に着いた後は、親たちが、そのまま京都にある龍馬の墓まで子供たちを連れていくというオプション付きです。長い長い龍馬脱藩の道という学びの場は、子供たちだけでなく親たちをも本気にさせ、そこに数々の物語を生
み出しました。応援の絵手紙を下さる人や訪問した役場の人、通りがかりのおばあさんや峠まで一緒に歩いてくれた老夫婦など、数多くの人が、子供たちと共に素敵な物語を編み上げていきました。たくさんの人との関わりの中で、子供たちは見違えるように成長を遂げていきました。

第2回目「脱藩ウォーク」は、1回目のゴールである布施ヶ坂から出発。1回目では私服にすげ笠をかぶっていた子供たちですが、2回目の時は親たちが手づくりした羽織袴という出で立ちで、まさしく旅する龍馬のような恰好をしていました。衣装は、担任の分もちゃんと用意されています。そして、この日の宿泊地である、学校のある四万川の町まで戻ってきたときは、日が暮れていたにもかかわらず多くの地域の人たちが子供たちを出迎え、まるで町に凱旋しているような光景が見られました。「ようがんばった、ようがんばった!」と子供たちの手を取って涙するお年寄りもいました。その夜は、四万川にある民宿で心のこもった料理がふるまわれました。

四万川の町までの旅は、地元に向かう国道に沿った道を歩くものでしたが、第2回目の2日目、龍馬が土佐からの脱藩を果たした県境の韮が峠を越えて愛媛に入ると、道はほとんどが山中の小道に変わり、すれ違う人もいなくなりました。この先の道は地元からだんだん離れて行く旅です。子供たちの口数も少なくなり、天候は雨模様。列から遅れる子も出始めます。明らかにこれまでとは異なった状況の中で、小雨に煙る林の中を子供たちは懸命に小さな一歩を重ねていきます。

すげ笠をかぶった小さな志士たちが、霧と細い雨に包まれた雑木林の尾根道を進みます。そして、そこを抜けると次は大きくそそり立つ杉林の中の山道。そこに居るのは8人の子供と担任だけ。音も消えたその空間を一列になって登っていく9人を見たとき、私は、ああ、なんて美しい姿なんだろうと心が震えました。苦しさ、寂しさ、寒さ、脱藩をした龍馬や幕末の志士たちへの思い、そして、自分の弱さ、それでも、歩かなければならないという崩れそうな使命感。子供たち一人一人が、どうにもならない大きな自然の中で、ちっぽけな自分と向き合っています。一言もしゃべることなく、ただただ歩みを進めています。坂本龍馬脱藩の道という学びの場は、長い道のりを経て、これほどまでに美しい子供たちの姿を生み出しました。

第2回「脱藩ウォーク」のゴールが近づいたとき、雨が激しくなり、土砂降りのような状況になりました。せっかくの羽織袴も、中に着ている服も濡れ、晩秋の寒さが身に染みます。山中にあった小屋の小さな軒下で、立ったまま昼食の弁当を頬張る時も雨は容赦なく降り続き、軒に入り切らない肩を濡らします。それでも、お米をかみしめてエネルギーをチャージし、目的地を目指します。もう少し歩けば2回目のゴールです。雨をしのぐ場所もなく、傘を寄せ合って降りしきる雨の中で最後のミーティングを行い、出発しました。その時です。私は、最後尾を歩く女の子の口から信じられない言葉を聞きました。「あぁ、もうゴール。終わっちゃう、終わっちゃう。もっと歩きたい」。

11 月、第3回「脱藩ウォーク」。歩き始めて延べ8日目、子供たちは晴れ渡る秋空の下、肱川河口の海岸にある公園のゴール地点に到着しました。眼前には、夕日に輝く瀬戸内海が広がっています。愛媛に入ってからはほとんど出会う人もなかったのですが、ゴール前日、彼らは一人のおばあさんとの出会いに大きく心を揺さぶられ、夜のミーティングはそのおばあさんの話を中心に2時間もそれぞれの思いを語り合っていました。子供たちの一人、S さんは出迎えた親たちの前で、涙で言葉を詰まらせながらこう話しました。

「昨日は、一人のおばあちゃんに会って、そのおばあちゃんは、私のおばあちゃんと同じ歳で、わざわざ自転車に乗って私たちのところまで戻ってきて差し入れをしてくれました。それを見て、私のおばあちゃんは野菜とかをくれるけど、私はいつも当たり前に感じて、ありがとうって最近は思えなくなってきたんだけど…、そのおばあちゃんを見て、自分がちょっと嫌になって、自分の心の壁をこわして、また新しく今ならおばあちゃんに、ありがとうって言える自信がつきました。」

山道を歩き、静かに自分を見つめ続けた子供たちは、新しい出会いを通して、人のやさしさ、ぬくもりを自分なりに受け止めてしっかりと心の中に刻み込んでいました。

坂本龍馬脱藩の道という、人を惹きつけてやまない学びの場。今日もきっとその場でさまざまな人がそこにしかない物語を生み出し、その場所で、新しい自分を見つけているに違いありません。

10 年以上の歳月を経て大人になった彼ら彼女らは、小学6年生の時のこの旅をどう振り返るのか。そして、今の彼らにとって坂本龍馬脱藩の道とは何なのか。私は今、この道をもう一度、彼らと共に歩く計画を進めています。

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