レポート教育最前線

模擬投票・議会・裁判の取り組みを通じて未来の主権者を育てる「シチズンシップ教育」

神奈川県立湘南台高校

2016 年6月から選挙権年齢が18 歳に引き下げられたことで、教育課題として急浮上した「主権者教育」。次期学習指導要領をめぐる中央教育審議会答申(2016年12月)でも「小・中学校からの体系的な主権者教育の充実」が明記されており、高校以外の校種においても無視できません。そんな中、いち早くシチズンシップ(市民性)教育に取り組んできたのが神奈川県教育委員会。そのパイロット校である県立湘南台高校の取り組みをレポートします。

文・渡辺敦司(教育ジャーナリスト)

2011年度から全県実施
その先導役として

シチズンシップ教育は、2002年から英国において、中等教育段階の必修科目として取り入れられたことなどから、日本でも注目されるようになりました。東京都品川区では2006年度から、独自のカリキュラム「品川区小中一貫教育要領」の中で、道徳と特別活動と総合的な学習の時間を統合した9年間の「市民科」が行われています。経済産業省も2006年3月には、「シティズンシップ教育と経済社会での人々の活躍についての研究会」と題した報告書をまとめています。
そうした流れを受けて、2010年7月以降、3年に1回の参議院選挙を活用して、全県立高校で模擬投票を実施。2011年度からは「政治参加教育」「司法参加教育」「消費者教育」「道徳教育」を4本柱とするシチズンシップ教育を、キャリア教育の一環として全県立高校で展開しています(中等教育学校は2012年度から)。
そうした実践の先導役となったのが、藤沢市にある湘南台高校です。2007年度からキャリア教育推進拠点校、2010年度からシチズンシップ教育活動開発校(重点は政治参加教育と司法参加教育)、そして2013年度からシチズンシップ教育研究推進校の指定を受けるなど、研究実践に取り組んできました。
次期学習指導要領において、高校における主権者教育は、公民科の新しい共通必履修科目「公共」を中心に実施されることになります。湘南台高校は2016年度から3年間、県立高校改革(Ⅰ期)指定事業の教育課程研究開発校として、新科目「公共」の研究にも取り組んでいます。

 

国の副教材作成にも
同校の教諭が協力者として参加

公職選挙法の改正で、18歳選挙権が現実のものとなったのは2015年6月。翌年7月に実施される参院選から高校生の一部も投票権を得ることになり、高校での主権者教育が、喫緊の課題となりました。選挙を所管する総務省と、教育を所管する文部科学省は、法案成立が確実になった頃から、副教材づくりに取り掛かります。そうして同年9月に完成したのが、「私たちが拓(ひら)く日本の未来―有権者として求められる力を身に付けるために」です。生徒用副教材と教師用指導資料の2種類があり、いずれも両省のホームページからダウンロードすることができます。
副教材には、選挙の実際や政治の仕組みなどがイラスト付きで詳しく解説されているとともに、すぐに実践できるよう、模擬選挙や模擬請願、模擬議会の方法が、ワークシート付きで紹介されています。
それだけではありません。話し合いや討論の手法として、「ディベートで政策論争をしてみよう」「地域課題の見つけ方」なども取り上げられています。「民主主義は、討論によって、物事を決める政治であり、話合いの政治」(副教材・実践編第2章)だからです。そこでは、国家・社会の形成者として求められる力として、
① 論理的思考力(とりわけ根拠をもって主張し他者を説得する力)
② 現実社会の諸課題について多面的・多角的に考察し、公正に判断する力
③ 現実社会の諸課題を見出し、協働的に追究し解決(合意形成・意思決定)する力
④ 公共的な事柄に自ら参画しようとする意欲や態度
を示しています。
次期学習指導要領の勉強を始めている読者なら、ピンと来たかもしれませんが、これらは「資質・能力の三つの柱」の育成を目指す改訂の方向性と、軌を一にしています。副教材でも「アクティブ・ラーニング(AL)型の授業」として、正解が一つに定まらない問いに取り組む学び、学習したことを活用して解決策を考える学び、他者との対話や議論により、考えを深めていく学びを期待しています。
実は、この副教材・指導資料の作成には、同校の黒崎洋介教諭が、協力者として携わっています。同校の実践研究の成果が、多分に生かされているのです。
次期学習指導要領をめぐる中央教育審議会答申では、本格的な主権者教育に取り組むため、「小・中学校からの体系的な主権者教育の充実」を打ち出しました。本来、主権者教育は「平和で民主的な国家及び社会の形成者」(教育基本法第1条)の育成を目指し、学校教育全体で取り組むべき課題ですが、やはり核となるのは小中学校の社会科や、高校の公民科です。とりわけ高校では、現代社会に代わる「公共」を創設して共通必履修科目とし、政治参加、職業選択、裁判制度と司法参加、情報モラルといった題材を取り上げながら、「現実社会の諸課題を、政治的主体、経済的主体、法的主体、様々な情報の発信・受信主体として自ら見いだすとともに、話合いなども行い考察、構想する学習を行う」(答申文)こととしています。同校は、そうした新科目の先導役としても期待を集めています。

模擬議会「湘南台ハイスクール議会」。生徒たちから活発な意見が出されます。

 

総合的な学習の時間を核に
学校教育全体で

同校のシチズンシップ教育の核となっているのが、総合的な学習の時間「シチズンシップ」です。各学年1単位で、全教員がティーム・ティーチング(T・T)で指導します。オリジナルテキスト「シチズンシップⅠ・Ⅱ・Ⅲ」も作成しました。
1年次は主たるテーマを「『公』的な社会参加」、準テーマを「価値判断」とし、あいさつの仕方から始め、話し方や聞き方といったソーシャルスキルトレーニング(SST)、KJ法やマインドマップ、ロジカルシンキングなど各種思考法に重点を置きます。そうして身に付けたスキルを活用して、模擬議会「湘南台ハイスクール議会」に取り組みます。
2年次は、主テーマが「『共』的な社会参加」、準テーマが「意思決定」です。ロジカルシンキングの「型」を活用して、新聞から選んだ興味のあるテーマについて価値判断文を作成し、ディベートや政策プレゼンテーション、ポスターセッション、模擬NPOなどと展開します。
3年次は「『私』的な社会参加」を主テーマ、「価値判断・意思決定」を準テーマとして、各自が公共的課題の問いを設定して「卒論」にまとめ、成果発表会も開催します。単なる調べ学習でなく、社会への提案を目指す「ハードルが高い」(黒崎教諭)ものです。
高校在学中の3年間で、必ず1回は参議院の改選があります。それに合わせた模擬投票には、どの学年も事前指導に3時間、事後指導に1時間を充てます。事前指導では、政治参加の意義を確認したり、政党の公約比較を行ったりするだけでなく、「マイ争点づくり」にも取り組みます。「投票」は放課後に実施し、本物の選挙さながらに、市選挙管理委員会から借りた実物の記載台と投票箱を使って投票します。実際の選挙と同様、棄権するのも自由。事後指導では、国・県と同校の投票率や投票結果を比較して感想を述べ合います。また、大学や県弁護士会などと連携して法科大学院の法廷教室を使った模擬裁判にも取り組みます。

法科大学院の法廷教室を使った模擬裁判の様子。注目度が高い取り組みだけに、テレビ局の取材が入ることもあります。

 

重要なのは、こうした学習が「狭義のシチズンシップ」と位置付けられていることです。「広義のシチズンシップ」は、公民科以外の全教科や教科外指導も含んだ、学校教育活動全体です。核となる狭義のシチズンシップは、他教科の知識・技能をフル活用した「考える時間、探究する時間」(黒崎教諭)という位置付けで進められ、T・Tによる指導体制が、そうした取り組みを支えています。今後、他の学校で主権者教育に取り組む際にも、見習うべき視点と言えます。

生徒同士によるディスカッション。同校の生徒は、きちんと根拠を示しながら意見を言う習慣が根付いています。

 

新しい課題への取り組みは
教員として成長のチャンス

同校は主権者教育の先進校として、テレビや新聞にも多く取り上げられています。そんな時、担当者として取材に応じる黒崎教諭は、教職5年目の29歳。早稲田大学の教職大学院時代から同校のシチズンシップ教育に関わっていたこともあり、初任時から最前線で新しい教育活動の研究開発に携わることになりました。重責を担う黒崎教諭ですが「今もそのつど研究会に参加したり、専門書を読んだりして、勉強しながら実践に携わっています」と話します。
新しい学習指導要領は、教科書に書かれた学習内容を講義形式で教えるだけではなく、ALを取り入れることによって、授業を「主体的・対話的で深い学び」に高め、それによって知識・技能、思考力・判断力・表現力、学びに向かう力・人間性という「資質・能力の三つの柱」を育成していくことを求めています。学校全体や各教科等で、教員一人一人がカリキュラム・マネジメントに携わることも不可欠です。ベテランの教員にとっても、相当なチャレンジとなることでしょう。
さらには主権者教育をはじめ、健康・安全・食、創造性、グローバル化対応、地域創生、持続可能な社会づくり、スポーツライフといった現代的な課題にも取り組むことが求められます。
その上、50 代の大量退職に伴い、多くの若手教員も数年後には学校の中核を担うことになります。初任時から指示待ちではいられません。「学び続ける教員」として、学校の授業研究や学校経営に、主体的に関わっていく姿勢が、これまで以上に必要となってきます。
井上正美教頭は、これから教員になろうとする人に「専門教科は大切ですが、専門教科の知識だけでは教員の仕事は成り立ちません。専門教科以外でもプロになるんだ、という気持ちを持ってほしいですね」とアドバイスします。黒崎教諭は「いい授業をしたいという思いは常に持っていますし、そのために、多くの時間を教材研究に費やしています。教員は、初任からいきなりプロとして最前線に立てる、やりがいのある仕事。手を抜こうと思えば抜けますが、とことん仕事にこだわることで、面白味も出てきます」と話します。
新しい教育への取り組みは、大変な反面、教員としての資質・能力も大きく高めてくれる、貴重なチャンスになります。同校の取り組みや、黒崎教諭の姿勢からは、そんな学校や教員のあるべき姿を学ぶことができそうです。

「シチズンシップ教育」の推進役を務める黒崎洋介教諭。

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