教職感動エピソード

Vol.9 先生は、ばかだよ

八巻 公紀(元埼玉県公立小学校長)

感動エピソード

イラスト・佐藤百合子

「先生のクラスのM 男、問題児だから気を付けた方がいいですよ。かっとなったら何をするか分からないから。」

新任として学校に赴任し、クラス編制のカードを見せられた時、前担任からそんな言葉を投げ掛けられました。多少の不安は覚えたものの、そこは若さの特権。やる気一杯、元気一杯だった私は、1週間もすればM 男も落ち着いてくれるだろうと根拠のない自信に溢れていました。

1週間が経ち、2週間が経ちました。M 男の様子はというと、落ち着いてくるどころか、逆に以前より怒りっぽくなったのではと思われるほどの状態です。

「先生、大変です。M 男が怒って、トイレでデッキブラシを振り回しています。」

ある日の掃除時間、何人かの子供たちが血相を変えて私のところに駆けてきました。トイレの前に飛んで行くと、M 男は顔を真っ赤にして何かを叫びながらブラシを振り回していました。この勢いでブラシが他の児童に当たったら大変です。私は、目の前をブラシが通り過ぎた瞬間を狙ってM 男の懐に飛び込み、腕を押さえました。私が必死なら、M 男も必死でした。落ち着きを取り戻してから、暴れた理由を聞いてみると、悪口を言われたからということでした。

それからというもの、周囲のおとなしい子供たちは、M 男が大声を出すだけでビクビクするようになり、M 男を何とか落ち着かせることがみんなの願いとなりました。M 男の心が落ち着くものを探していたとき、良い情報が入ってきました。M 男はどうやら動物が好きらしいのです。

早速、次の学級会で「クラスで動物を飼おう」という提案をして、ハムスターを飼うことになりました。ペットショップで買ってきた、オスとメスのハムスターを1匹ずつ、同じかごに入れて飼い始めました。ハムスターたちは、回し車に乗って勢いよく回り続けます。「かわいい」という歓声があちらこちらから上がりました。

「おい、大事にしろよ。」「落とすなよ。」そんな声が上がる教室は、何とも良い雰囲気でした。クラス中が優しい気持ちに包まれました。「うまくいった。」私は心の中でにんまりしていました。

ハムスターの世話は、M 男を中心にさぼることなく続けられ、M 男も目に見えて落ち着いていきました。ところが、しばらくして困ったことが起こりました。冷静に考えてみれば分かることですが、オスとメスを同じかごで飼っていたため、子供が生まれたのです。ハムスターの子供は一度に5匹も6匹も生まれます。そのうち、かごからハムスターが脱走して、よそのクラスにも逃げて行くようになりました。その頃から、クラスの子供たちはハムスターに見向きもしなくなり、M 男だけがハムスターの世話を続けている状態になりました。そうして気が付くと、M 男は少しのことで腹を立てやすい元のM 男に戻ってしまっていました。

そんな時、バイクのウィンカーキャップ破壊事件が起こったのです。その日、私が家に帰って夕飯を終え、くつろいでいると突然電話のベルが鳴りました。「先生……」M 男の声がしましたが、後は声になりません。M 男の母親が電話口に出て、「さっきから、息子が受話器を握ったまま泣いているんです。先生に電話をして話すことがあるんだって言うんですが、何だか教えてくれないんです」と言います。M 男が再び電話に出ました。「先生…。」けれども、どうしてもその後が声になりません。「分かった。今から君の家に行くから、待っているんだよ」とだけ伝えると、私は車に乗りました。30 分もあれば行ける距離です。とにかくM 男に会わなければならない。心の中の本能が私を駆り立てていました。

実は、その日の昼、学校でちょっとした事件があったのです。学校に駐車してあったS 教諭のバイクのウィンカーのキャップが壊されたのです。直前に、そのバイクをM 男が触っていたこと、M 男が今までいくつもの事件を起こしていたことから、彼に疑いがかかりました。

「M 男君が触っているうちにキャップがはずれてしまったんだよね。それがうまく戻せなくて、キャップを叩きつけて割ってしまったんだよね。」ベテラン教師であるS 教諭は、優しくM 男に語り掛けましたが、M 男「僕、やってません」と言って、その場を立ち去ろうとしました。するとS 教諭はM男の腕をつかみ、「あなたがやったんじゃないの?」と厳しく迫りました。「やってないよ!」M 男はきっぱりとそう言って、その場を立ち去りました。

「困りますね、ああいう子は。担任のあなたがきちんと事実確認をして、謝らせなくちゃ」というS 教諭の言葉が終わるか終わらないかのうちに、私はS教諭に大声を上げていました。

「本人がやっていないと言うのだから、やっていません。もっと子供を信じてやってください!」柱の陰では、M 男がこちらをうかがっていました
が、私は気に留めていませんでした。

M 男からの電話は、その日の夜にかかってきました。M 男の家に着くとすぐ、私は母親に案内されて彼の部屋に入りました。

「先生、ごめんなさい。バイクのキャップを壊したのは僕です。先生は、ばかだよ! 僕の言うことをまともに信じちゃって…」

そう言ってスーパーカー消しゴムが並んだ机に突っ伏した彼の背中は、小刻みに震えていました。

次の日、私はM 男と一緒にS 教諭に謝りに行きました。S 教諭の激しい声をM 男と一緒に聞きながら、私は「先生は、ばかだよ!」と真剣な表情で語った、前の晩のM 男の顔を思い出していました。

その後、私は校長室に呼ばれました。きっと校長先生は、もうとっくに事の経緯を知っていたのでしょう。下を向いて校長室に入ってきた私に、校長先生はこうおっしゃいました。

「裏切られても、裏切られても、何があろうとも、子供を信じ抜くのが教師の仕事なんだよ。」

それからのM 男は、少しずつ落ち着きを見せ始め、人に暴力を振るうようなことはなくなっていきました。

その後、何か事件が起こる度、私はあの時の校長先生の言葉を思い出すのです。

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